Chapter.7 いつからやるの?

そこが水島の悩みの種。最大の壁なのだ。

1990年代末。
日本中がカリスマ美容師ブームに沸いていた。
ちょうど30歳になった水島は、
しかしそんな活気に背を向けて、
ドライカットというあたらしい技術に取り組んでいたのだ。
お店ではトップスタイリスト。
お客はひっきりなしに訪れた。
そのお客さまのだれか一人に、ドライカットを試してみる……。
そんなことはできなかった。

スタイリストデビューするときも、そうだった。
水島は自分が納得できない限り、お客さまの髪にハサミは入れられなかった。
だから後輩にも抜かれたのだ。
自分で納得し、自信をもってお客さまに挑む。
そんな状況にならない限り、お客さまには入れない。

しかし、困ったことにお客さまに入らないと技術は完成しない。
それもまた美容師の仕事の厳然たる事実であった。
まず、お客さまにやってみる。
さまざまなヘアスタイル、髪質、毛量、クセ、骨格、好み……。
千差万別の状況に対峙して、培ってきた技術を試す。
そうしてお客さまの反応を見る。
「いい」「わるい」
その反応が、プロを育てていく。

「いい」ところはさらに磨き、 「わるい」ところは改善する。
そうやって美容師は、ほんとうの技術を身につけていく。
それはウイッグをいくら切っても身につかない、技術。
お金がいただける技術。
それを確立するには、お客さまに入るしかないのだ。

しかし、水島は入れなかった。
とにかくドライカットは時間がかかるのだった。
ウイッグでもこんなにかかるのに、お客さまだったらもっとかかる。
しかもお店には他にもスタイリストがいる。
水島はその中でトップのスタイリスト。
当然、売上もきちんとあげていかなくてはならない。
それがトップスタイリストの責任だ。
だからブラントカットでお客さまの髪を切る。
ドライカットはまだ、社長の佐久間が認めた技術ではない。
理屈は言うけど、かたちにならない。
そんな技術を「商品」として打ち出すわけにはいかないのだ。

水島は、練習をつづけた。
「いい」も「わるい」も言わないウイッグと、
黙々と格闘しつづけた。

8年、である。
水島の練習は、8年つづいた。

その間、EIJIは何度も言った。
「いつからやるの?」
つまり、いつからお客さまにドライカットを提供するのか。
しかしEIJIはそう言うだけだった。
「いつからやるの?」
水島は答える。
「いやぁ、まだ自信がありません」

ほんとうは言ってほしかったのかもしれない。
「水島さんはもう大丈夫。明日からやっていいよ」と。
つまり「先生」のお墨付き。
それがもらえたら、踏み切っていたかもしれない。
だけど明確なお墨付きはいつまでももらえなかった。

いや、違う。違うのだ。
ほんとうはその「いつからやるの?」こそ、
EIJIのお墨付きだったのだ。
「いつからやるの?」すなわち、「早くやりなよ」。
だけど気づかなかった。
そのころ、水島は「手段」と「目的」を混同してしまっていたのだ。

 

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